美術の表現と感情① 砂浜の比喩で知る表現の本質
今から君たち全員で砂浜に行くことを想像してみてほしい。
白い砂がきれいな美しいところだ。
君たちは何もやることもないのでそこら中をぶらぶらしている。
そのうちだれかが、みんなで何かやろう、と言い出す。
周りを見てみると、大きくて真っ直ぐな流木が横たわっている。
海岸ではよくこんな流木が流れ着いているものだ。
誰かが棒倒しをやろう、と言い出した。
砂浜の棒倒しが教えてくれること
彼は棒倒しをどこかで見たことがあったのだろう。
みんなはさっそく棒倒しを始めるが、あまり面白くないことに気づく。
人数が多すぎて、棒がすぐ倒れてしまうのだ。
なぜなら棒を支えられる人数は限られているからだ。
そこで、グループ分けをして、順番に棒倒しをすることにした。
そうすると各チームで勝つためにはどうしたらいいか真剣に考えるようになった。
各チームに個性が生まれだした。
そのうちあるチームがいつも勝つようになった。
だんだんと形になっていく
よく見るとそのチームは、棒を支えている人にとびかかって棒から引き離していた。
これでは棒倒しではなくて、プロレスみたいになってしまったので、
みんなで協議して、攻める側は棒だけを掴みにいかなければならないというルールを設けた。
そうすると、棒倒しがとても面白くなった。
砂浜には大きな歓声が絶えない状態になった。
はい、
これが表現と言うことだよ。
え、分からん?
ここで表現されているものは何だと思う?
それはみんなの楽しい気持ち(感情)だ。
それまで見えなかったみんなの中に眠っていた楽しい気持ちが、
“棒倒しという形を得て”
表現されている。
つまり見える形になっている。
見えないものが形を得て見えるようになることを表現と言うんだよ。
そしてここには創造も起こっている。
創造のプロセスで生命が宿る
ここでの創造とは棒倒しというものが面白いゲームとなるまでのプロセスのことだ。
そしてこの棒倒しを面白くする要素は、みんなが手を動かしたり足を動かしたりしながら
やっているうちに閃いたものだ。
今、棒倒しは面白いゲームとして機能している。
棒倒しという形、形式、つまりフレームが出来上がった。
生命が宿ったともいえる。
生命の創造だ。
新しい何かを加えればいい そしてそれは必ずなされる
ここで一つポイントがあるよ。
みんなの中の誰かが、棒倒しをどこかで見て、何となくイメージはあったかもしれない。
でも君たちは独自に新しいルールを付け加えてより楽しめるものにしたんだ。
この場合も言葉の正しい意味で創造したということなのです。
どこかで見たことがあったとしても、それを自分の経験として新しく造るのです。
砂浜でのゴミ拾いの中に宿ったさわやかな感情
それではここでもう一度みんなで砂浜に戻ってみよう。
今度もみんなで何かやることにしよう。
何をしようかと考えながらみんなでぶらぶらしていると、
誰かがゴミを見つけた。
よく見ると、砂浜には結構ごみが落ちていることに気づいた。
誰からともなく、みんなでごみを拾おうとなって、みんなでせっせとごみを拾い集めた。
すると、ごみを拾いながら、何か普段と違う気持ちが湧いてくるのを感じた。
何かいい感じだ。
思った以上にゴミが集まった。
みんなの中に何とも言えない静かな充実感(感情)が生まれた。
自分が誇らしい気持ちになり、友達もきっとそうに違いないと思った。
はいこれも表現だよ。
表現されている内容はみんなが感じている誇らしい、何とも言えないさわやかさ(感情)といったところかな。
その内容を入れる器は、みんながゴミを拾っている姿だ。
さてここでみんなが気づいていない視点があるんだ。
それは表現されたものだから、誰かが見ている可能性があるということだ。
そう、美術作品と同じように、表現されたものを見る人がいるということだよね。
君たちが楽しそうに棒倒しをしているのを見た人は、砂浜というキャンバスに、君たちが
棒倒しをやっているという表現を見ることになる。
そしてその表現を見た人はきっと同じように楽しい気持ちになるだろう。
そして同じように
ゴミ拾いという表現をしている君たちを見た人は、そこに表現されている、あのさわやかな感情を感じることになるだろうね。
美術の表現と感情② 創造のプロセス 設計図通りではない
美術の表現も本質的には同じようなプロセスで出来上がります。
比喩的な言い方になるけど、あの砂浜を画用紙に見立ててみてください。
流木は鉛筆や絵の具といったところかな。
あなたの中にある何か、を鉛筆の線や色を借りて表に現わしてみよう。
最初はあんまりはっきりしなくてもいいんだ。
棒倒しも最初は何か混とんとして面白くなかった。
つまり感情も出なかった。
やりながらみんなで工夫するうちに面白くなっていった。
作ることによって明らかになっていく
鉛筆を動かしながら、そうだな、絵の場合は無心に手を動かしながら何かが見えてくることがある。
そうだよ、だんだんとひらめいてくる感覚だ。
それが創造のプロセス。
作品はそうやって出来ていくんだよ。
決して設計図通りにできるというものではない。
上手いということがそれほど重要なわけでもない。
この創造のプロセスの形や色合いは人それぞれなんだ。
そこに目を開いていくんだよ。
美術の表現と感情③ 創造のプロセスには居心地の悪さがある
それと、言い忘れたことがあった。
「居心地の悪さ」をだめだと思わないことが大事なんだ。
みんなが最初に砂浜に行ったときは何をしていいかわからなくて、ただぶらぶらしてただろう?
それと同じで、閃きがないときは、居心地が悪いものなんだ。
んー、まあ、ずっと居心地が悪いというわけでもない。
でも、創造のプロセスにはこういう居心地の悪い時間は必ずあると思っておいて間違いないよ。
この居心地の悪い時間が大事なんだよ。
みんなここで勘違いしてしまうんだよな。
才能がないは間違い

僕には才能がないって。
でもそれは大きな間違い。
それと閃きって、雷みたいにはっきりしたものばかりじゃないからね。
結構微妙なものが連続で来てるから。
さあ、今日の話はこの辺で終わろう。
美術の表現と感情 まとめ 自分だけの「砂浜」を歩き出そう

今日は「砂浜」という画用紙の上で、棒倒しやゴミ拾いという比喩を通して、表現の本質についてお話ししてきました。
表現とは、特別な技術ではありません。
あなたの中に眠っている「まだ名前のない感情」に、形という「器」を与えてあげること。
そして、そのプロセスで生まれる「居心地の悪さ」さえも、新しい発見の前触れとして楽しんでしまうことです。
最初は、自分が何を作っているのか分からなくても大丈夫。
砂浜で流木を拾い、あちこち歩き回るように、まずは手を動かしてみてください。
あなたが「これは風だ」「これは私の誇らしさだ」と決めた瞬間、そこには世界に一つしかない命が宿ります。
上手い下手という物差しを一度捨てて、自分自身の感覚に耳を澄ませてみてください。
その「微妙なひらめき」の連続の先に、きっとあなたにしか作れない素晴らしい表現が待っています。
さあ、あなただけの砂浜を、自由に歩き出してみませんか。
今日の話は比喩的に進めていきます。
比喩というのは、ものの本質を鋭く言い表すことが出来るんだけど、少し頭を柔らかくしないと難しいと感じるかもしれない。
頭で分かろうとするよりも、感じることに意識を向けることで、その本質を「感じ」れるようになる。
まさに君たちが美術を学ぶ意味もここにあるということだ。