こんにちはミロの羅針盤館長のSenriです。
今日はルネッサンスの巨匠ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo Buonarroti)が描いたシスティーナ礼拝堂の天井画についてお話してみようと思います。
ミケランジェロは、私が良い生徒であるかどうかは別にして、心臓のすぐ横あたりにいる大切な指標であり、血液の中の栄養であり続けている存在です。
世の多くの彫刻家や画家の中にも、同じように感じている人は多いのではないでしょうか。
それくらい影響力のある芸術家ということですね。
今回の記事は、私が二十数年前に、システィーナ礼拝堂を訪れたときのことを思い出しながら書いています。
この記事を読めば、
ミケランジェロの天井画が描かれた背景
ミケランジェロの葛藤
ミケランジェロの制作現場のリアル
ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチの関係
天地創造の9つの場面の概要
ミケランジェロの創造の秘密
“人間ミケランジェロ”とは?
について知ることが出来ますのでどうぞ最後までお付き合いください。
ミケランジェロの天地創造 なぜ彫刻家が天井画を描くのか?

2003年イタリアのヴァチカンを訪れた際、システィーナ礼拝堂で、ミケランジェロの天井画を見ることが出来ました。
上を見上げると、天井いっぱいの大画面に色鮮やかな人体が乱舞しているのが見えます。しかし予想していた重厚さとは違って、ポーンと何か軽やかで、そして透明であり、さわやかでさえある、そんな印象を持ったことを覚えています。
作品名:システィーナ礼拝堂天井画(通称「天地創造」) 制作年:1508年〜1512年 制作時の年齢:33歳〜37歳 技法:フレスコ 大きさ:約40.9m × 13.4m 描かれた人物:約300人 場所:ヴァチカン市国 システィーナ礼拝堂
策略による天井画制作? 真実は?
彫刻家であったミケランジェロが、なぜあまり経験がないフレスコ画の制作をしなくてはならなかったのか。
それは、彼を失脚させようとする、周りの嫉妬と策略によるものであったとも言われています。
画家でないミケランジェロは、きっと失敗するであろう、と。
当の本人も、「彫刻家である私がなぜこのような仕事をしなければならないのか?ラファエロのほうが適任だ」と、辞退の直談判もしたようです。
しかし、結果的に誰の追随も許さない、人類史上最高の天井画が完成することになります。
「心を奪われてしまい、大自然さえも彼ほどの味わいを持たないように思われた」とのちに文豪ゲーテに言わしめたほどの傑作でした。「ゲーテ著・イタリア紀行」
よく考えてみれば、あのダビデ像を彫り上げたミケランジェロです。

空間を把握する能力も、人体の構造の理解も、そしてデッサン力も“並々ならぬもの”であり、それをもってすれば、やはりあの天井画は出来るべくして出来たのです。
法王ユリウス二世の慧眼
システィーナ礼拝堂は、ヴァチカンで最も重要な礼拝堂です。

時の法王ユリウス二世は、この礼拝堂を建設した叔父のシクストゥス四世を称えるために、さらにこの礼拝堂を立派に荘厳しようと考えていました。
ミケランジェロに対する、周囲からの讒言があったにしても、大事な事業を失敗させるわけにはいきません。
結局ユリウス二世は最高の人選をしたということです。

不安の中の出発
ただそこにはやはり、ミケランジェロも予想しえなかった、見えないものの差配があったのでしょうか。
ミケランジェロ自身も「なぜ私がここ(絵画の制作場所)にいるのだ」と友人への手紙でこぼしていたというように、不安と不自由の心持の中、全く新しい創造は始まりました。
ミケランジェロの天地創造とは?描かれた九つの場面を解説
さて、この記事ではミケランジェロの制作エピソードを中心に紹介していますが、ここで簡単に天井画に描かれた、神による天地創造の九つの場面について簡単に解説しておきましょう。
光と闇の分離
「神、光あれと言われた。すると光があった。神はその光を良しとされた。神は光と闇を分けられた。」
ミケランジェロの絵では神は高く飛んでおり、闇と光を作ったと同時に力強く両腕を広げて天地を分けています。
太陽と月と植物の創造

神が宇宙の秩序を作っています。
両手を勢いよく広げる神は日と月を造り、後ろ姿で植物の創造をしている神が躍動的に描かれています。
地と水の分離
「天の下の水はひとつところに集まりかわいた地があらわれよ。」
神が水を一つに集めて、乾いた大地を出現させる場面ですが、大地は描かれていません。ミケランジェロは水の分離だけを表現していると言えそうです。
アダムの創造

天井画の中でも大変有名な、天から降りてきた神がアダムに命を吹き込む場面です。
アダムの伸ばした指に、今にも触れんとする瞬間をとらえています。
神の手が力にみなぎっているのに対し、アダムの指はまだ弱々しく、しかし何かに誘われるようにおずおずと指を伸ばそうとしているのが対照的です。

Senri’s Eye
「アダムの創造」は大変有名なところなので、もう少し詳しく見てみましょう。アダムの人体表現は美しく、ミケランジェロの彫刻家としての眼が働いていると、よく指摘されます。
これについて私なりの見方を言わせてもらいますと、、
彫刻家の目とは内側からとらえる目のことで、いわゆるフィクションとしてではなく、実在としてとらえる目と言えるでしょう。また深い次元のバランスをとらえる目、そして命を見る目でもあります。
ミケランジェロの、大理石の中に生きた彫刻を見て、ただそれを彫りだすだけ、との証言は有名ですね。
私が思うに、画面に向かえば、彼であればこそ、そこに命を表そうとせずにはおれなかったのではないでしょうか。
つまり、大理石の中に命を見ていた眼が、絵画に同じ命を見出すことに、彼は呻吟していたのではないか。
そう考えると、彼が制作中、常に弱気で、ぼやきが止まらなかったのにも、納得がいくような気がします。
ミケランジェロが初めて挑んだ天井画は、彼にとっても人類にとっても、文字通り未聞の道を切り拓く挑戦だったのです。
(彫刻家の目については「リビアの巫女」のところでも解説しています。)
豆知識!
アダムの目の白目の部分は、絵の具を塗らず、漆喰の素地のままだということを知っていますか?
ボリューム豊かな人体表現ですが、割とあっさりと水彩画っぽく描かれているわけですね。
エヴァの創造
アダムが眠っている間に、彼の肋骨から神によってエヴァが取り出される場面です。生まれたばかりのエヴァが、神に祈りをささげています。
原罪と楽園の追放

知恵の象徴である蛇に誘われ、エヴァがリンゴを食べてしまい、二人が善悪を知る存在となってしまったと知った神は、二人を楽園から追放します。
ミケランジェロの絵では、リンゴを食べる前のエヴァは若々しく純粋なのに対して、天使に追われる時のアダムやエヴァの表情は老人のようになっています。
ノアの物語・ノアの燔祭

大洪水を生き延びたノアが、神への感謝と信仰のあかしをささげる場面です。神は肉を焼く匂いを喜び「もう人のゆえに地を呪わない」とノアの心にいわれます。それぞれの登場人物は視覚、触覚、聴覚、味覚の四官を表しています。嗅覚は神が肉の匂いを喜ばれたことで表されます。
大洪水
正しい行いをしたノアの家族を残して、すべての人間が洪水によって滅びゆく姿を現しています。ただミケランジェロは滅びゆく人々を、共感をもって描いたと言われています。
ノアの泥酔
ノアは農夫になり、葡萄酒を作ったがそれを飲んで泥酔し、裸で寝てしまいます。それを恥ずかしく思った息子たちがノアの体を隠そうとする場面。ノアが畑を耕している場面もあります。
ミケランジェロの天地創造を支えたフレスコ画の技術
天井画の制作は、下地の漆喰が乾かないうちに、素早く絵の具を塗り付けなくてはなりません。そのためにあらかじめ原寸大の下絵を用意しておいてそれを壁面に写していきます。
素描に宿る彫刻家の深いまなざし
ミケランジェロの天井画には「リビアの巫女」が描かれています。後ろに置いてある大きな本に手をかけて、今まさに台から下ろそうとしている躍動感あふれる女性像です。

その下絵を制作するために描かれた素描が、メトロポリタン美術館に収蔵されています。
その素描の何と素晴らしいこと。

確固たる線と筋肉の描写。深い次元に統一されたバランスの美しさは、彫刻家ミケランジェロの面目躍如というもの。
出来上がった人物像は、まさに彫刻家にしかできない立体感を示し、素描をどれだけ拡大したとて、その線に宿る力を希薄にすることなく、むしろ、まったく新たな生命を吹き込んでいるように見えます。


ギルランダイオの工房でフレスコ画の修養を積む
ところで、ミケランジェロに、フレスコ画の経験が全くなかったわけではありません。
13歳でギルランダイオの工房に入門し、1年余りではありましたが、当時フィレンツェで大きなプロジェクトをこなしていた工房の一員として、実践の仕事をしていたのです。

真偽ははっきりしないですが、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の壁画部分「荒野を歩く少年ヨハネ」はギルランダイオが全面的にミケランジェロに制作を任せたとの逸話が残っています。
ギルランダイオが、メディチ家の当主ロレンツォ・デ・メディチの呼びかけに応えて、真っ先に彼を、メディチ家の英才教育を施す彫刻学校に推薦したのは、彼が工房ですでに頭角を現していた最優秀であったからにほかなりません。
メディチ家で育まれた深い教養
さて、法王ユリウス二世が考えていた天井画の計画では、キリストの弟子である十二使徒の絵が描かれることになっていました。
しかし、それでは十分ではないとし、創世記の天地創造の壮大なドラマを天井全体に描くことを強く提案したのは、ミケランジェロ自身であったと言われています。

当時33歳の青年ミケランジェロは神学の理解において一級のものを持っていたことになります。
それは単なる知識ではありませんでした。
一つの世界観を形象する能力は、深い知恵と理解を必要とします。ミケランジェロは絵画の中にそれらを表現する、最も深化した英知を持ち合わせていたのです。
それは彼が、少年期をメディチ家という文化の懐の最も深いところで育まれたことに、大きな要因があったことは言うまでもありません。

それでも彫刻家であることに固執するミケランジェロは、制作の過程でいつも弱音をこぼしていたと言いますから面白いですね。
ミケランジェロの制作現場 過酷を極める天井画制作
父親への手紙の中で彼はこう言っています。
「私はいまだに途方に暮れています。その理由は仕事が難しいことと、私の業ではないからです。なぜなら私は画家ではないからです。だから私は時を無駄にしています。神様お助けください。」
ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチ 私は画家ではない
検証
ミケランジェロ研究で広く知られる東北大学教授の田中英道氏は、ミケランジェロが自分は画家ではないと言い続けたのは、当時ルネッサンス絵画の第一人者と謳われていた、レオナルド・ダ・ヴィンチに気を使っていたためだと指摘しています。通説では、ミケランジェロとレオナルドは仲が悪く、道で出会った二人が、聴衆の前で嫌味を言いあったとの逸話も残されていますが、完成したダビデ像をレオナルドがスケッチするなど、天才同士でお互いを認め合っていたことは事実です。
田中氏によると、当時のイタリアで、ルネッサンス絵画の頂点に君臨していたのはレオナルドであったことは事実でした。
ミケランジェロは第一人者のみが自分の職業を名乗れるという考え方を持っていたようです。彼自身は自分を彫刻の第一人者であると自負していたのです。
結局一人で制作することに
しかし、どんな状況でも最高のものを目指さずにはおれないミケランジェロは、一切の妥協をしませんでした。
フィレンツェから連れてきた、5人のフレスコ画家が描く下絵のレベルの低さに我慢できず、すべて破り捨ててしまいます。結局すべての工程を一人で完成させることを、ミケランジェロは決意するのです。
父親に宛てた手紙にこうあります。
「彼らは私のそばにいるだけで、何の役にも立ちません。これには私も大変困りました。この仕事は、私一人には手に余るのです。私は乞食のようにみじめな有様です。」
過酷を極めた天井画の制作
天井画を描く作業は困難を極めます。
第一に絵を描くのには、立ったまま常に上を向いていなければなりません。常に集中していなければならず、首は曲がって戻らず、絵の具が絶えず顔に滴り落ちてきます。
一日の作業が終わるころには、視覚に変調をきたしたと言います。無理を重ねた体は確実に体調を悪化させていきました。
過酷を極めた制作は4年半にもおよびました。
仕事に没頭するあまり、靴をはいたまま寝ていたとも伝えられています。
Senri’sEye
私もこれまで彫刻の仕事をしてきたのでよくわかることですが、制作に没頭すると、体のことが二の次になってしまいます。
察するに、ミケランジェロの場合、特に彼の“天才”が、常に肉体を凌駕し、“人間ミケランジェロ”をして奴隷のように働かせていたのでしょう。
そのような極限の状態の中から、ミケランジェロは一つ一つ人物像を完成させていきます。
間違いを犯しながら一歩一歩進む
最初のころ、「大洪水」のあたりを描いているころには、ひとつの区画の中にたくさんの人物を描いていましたが、ミケランジェロはそこで自分の間違いに気づきます。

20メートル下の床から見上げた時、これらの人物たちが小さくてよく見えないのです。
それからは人物を大きく描くようにしました。

制作が終盤に近付くにつれて、ミケランジェロの描く絵は、のびのびとした大らかさを増していったと言います。
「神のごとき」と言われたミケランジェロも、何度も間違いを犯し、その度に工夫をし、無限の作業を一つ一つ勇気をもって積み重ねることで、ついに壮大な芸術の絵巻を完成させることが出来たのでした。
ミケランジェロの天井画は、時代を超え、今現在も、人類の宝として世界中の人々に感動を与えています。
私は、初めてあのシスティーナ礼拝堂の天井を見上げた時のことを、もう一度思い出します。
人を勇気づける芸術
最初に私の心に飛び込んできたのは、偉大さというよりは、むしろさっぱりとしていて、透明なさわやかさでした。
そしてその時、そっと私の心に入ってきた清純なものが、今も私を勇気づけ、見守ってくれているように思うのです。
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂 ”人間ミケランジェロ” おわりに
今回は、ミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂の天井画について記してみました。
「神のごとき」と謳われた芸術家ミケランジェロ。
しかし、その最も華々しい成果の一つであるシスティーナ礼拝堂の天井画は、“人間ミケランジェロ”の手によって描かれたことが、史実を見ると明らかになってきます。
それは困難にぶつかったときにも、決してあきらめず、弱音を吐きながらも、暗がりの中に一つ一つ道を見つけていった、私たちと同じ泥臭い人間の営みでした。
それはまた、限りある肉体、人間的な歩みこそが、私たちそれぞれが持つ使命と才能を支え表現する場所なのだ、ということを教えてくれているように思います。
もう一つのシスティーナ礼拝堂 「最後の審判」

システィーナ礼拝堂には、もう一つミケランジェロの大作「最後の審判」が描かれています。
私が訪れたときには、工事中(修復の時期だったのかも)で覆いがされていて見ることが出来ませんでした。
この「最後の審判」については、ミケランジェロの人生をたどりながら、また別の機会に記してみようと思います。
今日は最後までお付き合いくださり誠にありがとうございました。
参考:MICHELANGELO 世界の大画家シリーズ 高田博厚 田中栄道
図説 ミケランジェロ 青木 昭
ミケランジェロの創造 利倉 隆
イタリア紀行 ゲーテ
新・私の人物観 池田 大作
ミケランジェロ伝 コンディヴィ
ミケランジェロの生涯 ロマン・ロラン











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