歌舞伎の見得と抽象彫刻「シルエットの霊感 日本人の空間認識」

 

こんにちは、ミロの羅針盤館長のSenriです。

今回は、日本の伝統芸能である「歌舞伎」と私が長年歩んできた「抽象彫刻」の世界の意外なつながりについて、私自身の試行錯誤の経験を交えながらお話ししたいと思います。

歌舞伎通の方からは鋭い突込みが入りそうですけど、

「こんな見方もあるのか」

と新しい発見になるようでしたら嬉しいです。

また、これから美術や立体表現を学ぼうとしている方あるいは「西洋的なデッサンや立体把握がどうしても苦手で悩んでいる」という方にとって、おそらくは自分の中にもある(無いと言えば無いかもしれませんが)日本人としての感覚に注意を向けてみるヒントになればこれもまた幸いです。

歌舞伎の「見得(みえ)」 空間を切り裂く生きた彫像

私は長い間、歌舞伎には格別に興味があったわけではありませんでした。

しかし抽象彫刻の仕事を続ける中で、歌舞伎を洗練された表現形式として意識するようになりました。

特に空間と時間の使い方、シンボルの使い方、調和やエネルギー、感情の扱い方、その統合の仕方といったことにおいて注目すべきものがあると認識するようになったのです。

「見得」その瞬間に集積させていく舞台装置

歌舞伎は大変様式化された表現形式です。

その中でも大変重要な要素である「見得(みえ)」とはどういうものなのでしょうか。

一言で言えば、物語の感情や緊張感が最高潮に達した瞬間に、「役者が動きをピタッと止め、美しいポーズ(静止状態)を決める所作」のことです。

代表的な見得には、元禄見得(暫)石投げの見得(勧進帳)不動の見得(鳴神)などがあります。

映画やアニメとの共通点

現代の映画やアニメでいうところの「ここぞという場面のストップモーションやズームアップ」の効果を、江戸時代に生身の役者だけで作り出した素晴らしい演出です。

見得が決まる瞬間、舞台裏からは「バタバタバタバタッ、ツケェン!」と激しく木の手(拍子木)を打ち鳴らす「ツケ」の音が響き、役者は片目をグッと中心に寄せる「睨み(にらみ)」を効かせます。

これは、単に「格好いいポーズを取っている」だけではありません。

歌舞伎役者の動きはすべて様式化されています。

歩く所作、水を飲む所作、酒を飲む所作、飛び上がる所作、刀を振る所作、などひとつ一つの所作はことごとく絵画的にシンボル化されていいます。

役者は、この美的にシンボライズされたシルエットをその体にしみ込ませるために、普段の稽古に精進するわけです。

見得は歌舞伎の所作の中でも特別な意味合いを持っています。

観客と一瞬を共有する

見得の瞬間の役者の姿は、一瞬の静寂の中に、人間の凄まじい運動エネルギーを凝縮させた、いわば「極限まで無駄を削ぎ落とした『生きた彫像』」のようでもあります。

ここぞという感情の高まりを最高にシンボライズされた所作に込め、そして止めることによって観客と同じ瞬間を共有することになります。

そこには時間を超えた魂の交流が生まれます。

見得は立ち止まる勇気

ここで豆知識!

「見得」について第13代市川團十郎さんは、「一度、立ち止まる勇気」という言葉を残しています。

確かに自分が今やっていることに対して、立ち止まって考えるのは、一度、自分がいる箱の外に出なければならず、「真の理性」ともいうべきものを必要とする行為かもしれません。

「見得」が作り出す一瞬の静寂の中に、このような意味があるとすれば非常に興味深いことです。

仏教的な悟り、気づき、にも通じるかもしれませんね。

歌舞伎の舞台背景の「老松」と見得のコンポジション(構図)

歌舞伎は役者の演技やその衣装もさることながら、舞台の美術にも趣向が凝らされています。

三次元(役者)と二次元(背景)の一体化

歌舞伎の舞台、特に『勧進帳』などの「松羽目物(まつばめもの)」の背景に描かれる巨大な一本松(老松)に注目したことはあるでしょうか。

もう一つの主役

あの松は、単なる固定された静止画の背景ではありません。

実は、見得のダイナミズムと響き合う「もう一つの主役」として空間に存在していると考えられます。

ねじれに見られる歌舞伎の感情表現

背景に描かれる老松の幹は、まっすぐではなく、ゴツゴツと激しくねじれ、屈曲しながら天へと伸びています。

これは、役者がここぞという時に体幹をグッとひねり、四肢を突き出す見得の、言ってみれば「ねじれの美学」と完全にシンクロしています。

役者が舞台中央で豪快なポーズを決めたとき、背景にある松のうねるような幹のラインが、役者の身体の動きを視覚的に何倍にも増幅します。

美しいコンポジションが描く巨大な立体浮世絵

枝の伸びる角度と、役者が手や刀を突き出す角度が、計算されたかのように美しいコンポジション(構図)を描き、舞台全体が「一枚の完成された巨大な立体浮世絵」になる。

私たちはそこに強い空間的ダイナミズムを覚えるわけです。

役者と老松の共鳴

何百年という歳月(時間)を内包して凝縮された「松の形」と、舞台の上で一瞬の感情を爆発させて凝縮された「役者の形」

この二つのエネルギーが空間の中で共鳴し合っています。

歌舞伎に見る日本人の空間把握力

ここで、私自身の個人的な話をさせてください。

私は若い頃、彫刻を学ぶにあたって、いわゆる「ロダン的な立体把握」にずいぶん苦労しました。

「ロダン的立体把握」の壁と挫折

ロダン的立体把握とは

西洋の伝統的な彫刻は、内側に骨組みを建て、そこへ粘土を付け足し、内圧によって内から外へと膨らませていく「三次元の『構築』の思想」に基づいています。

当時の美術界には「彫刻は日本人には向かない」という通説(コンプレックスのようなもの)すらあり、「才能がないかも」と悩んでいた私も半ば諦めかけたことがありました。

西洋の物差しで測る「物質のボリューム」が、自分の身体感覚としっくり馴染まなかったのです。

歌舞伎との共通点 シルエットを重ねて空間を創る

壁を超えるための試行錯誤

しかし、その苦悩の果てに私が掴み取ったアプローチは、西洋の模倣ではない、全く別の方法でした。

それが、「決定的なシルエット(輪郭/陰影)を重ねていくことによって、立体空間を作り出す」という手法です。

これは実は、古代エジプト彫刻などに見られる、石のカービングの手法である四面法を実践する中で気がついたものです。

石彫の四面法との共通点

ここで豆知識!
ここでは詳しくは延べませんが、カービングの技法である四面法は原石の正面、側面、上面からデッサンを描き、それをまずかまぼこ状に彫りだしていきます。

まさにシルエットを重ねていくわけです。

この方法ではかなり強固な立体的な構築が可能になります。

【徹底解説】大理石彫刻の彫り方の種類5選! 石に命を吹き込む技法

歌舞伎の「見得」が持つ気配をはらんだ3次元

あえてここで付言しておきますと、逆説的ではありますが、個人的にはこのロダン的立体把握への努力の集積があって、シルエットを重ねるというアプローチが生命を得ることが出来たという感覚があります。

さて、あらゆる角度から切り取られた「強い二次元の強度(シルエット)」が、空間の中で幾重にも交差し、重なり合うことで結果として「気配を孕んだ三次元」が立ち上がる。

これこそが、歌舞伎の「見得」が持つ構造そのものだ言えます。

歌舞伎と見得 「シルエットに霊感が宿る」:日本人の空間把握

物理的には、シルエットを重ねれば確かに立体(3D)になります。

しかし、これだけだと心に迫る「彫刻」にはなり得ません。

何かが足りないのです。

その物足りなさを超えた先にあるもの―それこそが、古来から日本人に受け継がれてきた「独自の空間把握」だと私は考えています。

一言で表現するなら、「シルエットに霊感が宿る」ということではないか。

依り代としてのシルエット

西洋的な彫刻が、そこに物質(質量)」を置くことで空間を支配しようとするのに対して、日本的な空間把握は、「目に見えない空気の流れや緊張感(虚)を、最小限のシルエット(実)によってどうやって素材の周りに定着させるか」を重視すると言えるでしょうか。

  • 「気(エネルギー)の結び目」としての彫刻

    何もない空間にあるシルエットをスッと置くことで、そこを流れていた見えない空気に変化を起こし濃密な「間を生じさせる

    見得が決まった瞬間に、劇場の空気全体がピンと張り詰めるあの感覚

  • 「余白(虚)」が主役であるという反転

    物質そのものを誇示するのではなく、もともと豊かに存在している空間の気配を際立たせるために、必要最小限のシルエットが「依り代(よりしろ)」として置かれる。

見えない霊感を空間に定着させる

日本人の空間認識は次のようなものにも見られます。

日本の固有の美学である「数寄屋造り」が、障子や襖の「重なるフレーム(シルエット)」で奥行きを作る。

あるいは、風雪に耐えて異形のフォルムとなった巨木(背景の松)や巨石に、神聖な気配を感じ取る。

私たちの手や身体の感覚の根底には、物質を通じて「目に見えない霊感(気配)を空間に定着させる」という洗練されたDNAが脈々と流れています。

抽象彫刻 純化されたシルエット 再発見される霊感

抽象彫刻の父と言われたコンスタンチン・ブランクーシや、ピカソとの共働から空間の彫刻という新しい分野を開いたフリオ・ゴンサレス

鉄の彫刻家の元祖フリオ・ゴンサレス 石の彫刻家が語る世界の彫刻①

 

ブランクーシは彫刻を古代から連れ戻し、石やブロンズの中に聖性を再発見しました。
この方向性はその後の彫刻家にも受け継がれ、素材の中に光り輝くものを見、その光を素材の上に表現した作品が数多く生み出されていきました。

イサム・ノグチ デイビッド・ナッシュ マーテイン・プーリア バーバラ・ヘップワース 流政之

イサム・ノグチの作品
デイビッド・ナッシュの作品
バーバラ・ヘップワース 大理石作品 
流政之 御影石作品

フリオ・ゴンサレスの後には、広い空間を相手にし、空気の質そのものとの対話をする中で、作品を生み出していく彫刻家が多く生まれました。

デイビッド・スミス、アンソニー・カロ、アレクサンダー・カルダー、エドゥアルド・チリーダ、新宮晋

エドゥアルド・チリーダの作品

空間や物質の中にいわゆるオーラの出現、あるいは異化を求める彼らの作品に、歌舞伎に通底する空間認識を垣間見ることが出来るのは、私だけではないでしょう。

ところで、ゴッホゴーガン印象派といった作家たちが、パリを席巻したジャポニズムに影響を受ける中で、新しい絵を生み出していきました。
少なくとも当時のヨーロッパにおいては、日本文化は芸術に新たな生命を吹き込む源泉になりえたわけです。

日本人がどれだけ影響を与えたかということはさておき、東西の文化の違いのさらに奥深くにある、人間の普遍的な志向性の問題は存在するのだと思います。

おわりに:自分の内側にある「物差し」を信じる

Senri 御影石作品
Work by Senri 「宝島」
彫刻を置くことによって千変万化してゆく風景のすばらしさに気づいてもらうことを意図したサイトスペシフィックな彫刻
島原石

もし、いま美術や彫刻を学んでいて、「西洋的なデッサンや立体の構築がうまくできない」と悩んでいる方がいても、決して絶望する必要はありません。

それはあなたの才能がないのではなく、単に「西洋の物差し」があなたの身体感覚に合っていないだけかもしれないからです。

何もない空間に一本の線を引く、一つの形を置く。そのとき、その輪郭(シルエット)にどんな霊感が宿るでしょう。

そのような感覚は、明確に日本の漫画文化の中にも脈々と受け継がれていることでしょう。

テキストの学びからくる知的な操作を超えて、あなた自身の生身の直感だけが、新しい表現の扉を開く羅針盤になります。

この記事が、皆さんの新しい創造のヒントになれば幸いです。